本読んだ。「次世代ウェブ グーグルの次のモデル」

 

次世代ウェブ  グーグルの次のモデル

次世代ウェブ グーグルの次のモデル

 

ちょいと前に読んだ本ですが。ウチの会社のことをちょこっと取り上げていただいて、献本でいただいたのを真っ先に読んでしまいました。

楽天を始めもろもろの、webビジネスで成功した事例が数多く紹介されています。著者の佐々木さん自身の主張が満載というよりは、事実がつらつらと述べられているかんじ。

 

佐々木さんといえば、ここのところCNETブログで書いている毎日新聞ネタとかジャーナリストとしてのスタンスの話が、とてもスキです。

この本でも、自身の主張をあまり交えずに事実を書き記すことに徹していて、これもこれからの時代のジャーナリズムのあり方の1つなんでしょうな、と思います。いや自分あんまりジャーナリズム詳しくないけど。ネットだのブログだのがこれだけ普及して誰でも意見が主張できるようになったいま、過去にその役目を独占的に担っていたマスコミの人たちは今、相当大変なんでしょうな。

 

つーかね、かつての東芝クレーマーさわぎとかで、そのへんのことに世の中みんなとっくに気づいてるもんだと思うんだけどねえ。いまだにこんなもんなのか、と思ってしまう人も世のなかそれなりにいると思うんですがどうなんでしょう。

 

 

この佐々木さんの記事に言及している、藤代さんのエントリーもとても共感です。

しかしいまや価値観が多様化し、世代、地域、収入(雇用形態)などもこれまでのように「みんなが同じ」ではありません。日本が総中流社会といわれていた時代は終わり「マス」が崩壊しつつあるにもかかわらず、いまだに「マス」を代表したつもりで、言論を繰り広げている。

 

作家村上龍氏が主催しているJMMでもかなり以前から、「われわれ」で日本人をひとくくりにできる時代は終わった、でも現状に適うあたらしい概念なりコトバによるラベリングなりができておらず、マスコミは旧態依然とした文脈のまま、世間を代表した口調で物事を語る、なんて似たようなことを言っているのを連想しました。
「フリーター」とか「ニート」とか、その時代の世相にピタリと合ったコトバが発明されて、それに属する人たちはそのコトバに対して妙な帰属意識というか安心感を持ってしまうとかなんとかそんな話。
ちょっとまえの「負け犬」だの「勝ち組」だのってコトバもまさにそれにあたるだろうし、「web2.0」なんてコトバも概念のラベリングとして同様にうまく機能したのでは。

 

で、そういえば、先日藤代さんや百式さんとかと席をご一緒したときに、「webエンジニアリングもwebデザインも両方分かる人、のことを総称するコトバをなにか考えたい。「エンジニア」も「デザイナー」も、そのコトバだけだと別の人たちのことを表してしまうよね。」なーんて話題が出て、なんだかすごく頭をタテにうなずいてしまったのでした。



 

本の感想書こうと思ったらぜんぜん別の話になってしまった。。。ま、いっか。