激烈闘病記
面識のないドイツ在住の日本人の方の、壮絶な闘病記。闘病開始のころになにかの縁で見かけて、奇跡がおきることをずっと祈っていました。
強固たる信念と、すべてを注ぎ込んだ努力。あまりに淡々とした描写がただただ心に響く。
しかし。残念なかたちで終止符を迎えてしまったとのこと。
先週から人の親になった。親になった気分に戸惑う間もなく、私の子供を産んだ人が産んだ数日後に蜘蛛膜下出血で意識不明になり、ICU送りになった。
私の子供を産んだ人は今危篤にある。(中略)
ドイツの脳死と死亡判定の関係についてよくしらなかったのだが、脳死は即そのまま死亡ということになるらしい。医者がそのようなことをいっていて、ちょっと混乱した。
そのコメント欄。
数時間医師たちと議論していて思ったのは「ラクにさせたい」という医師たちの思いでしたが、「とにかく延命」ということで上のようなスローな離脱に変更することになりました。「ラクにさせる」ことが倫理的であるという点と私の「とにかく延命」が倫理、という意見との対立でしたが、彼女が植物状態になってもそれに付き合う覚悟が私にある、ということで最終的には私の意見を受け入れてくれました。
5日前に確実に脳死しますと宣告された彼女は酷なる状況を見事にギリギリでサバイブした。脳幹の大規模な梗塞で意識を取り戻す見込みはない、という程度の所見にまでに回復した。
うれしい。彼女が存在していること。
2009.2.18 The Formula of the End In Itself
彼女はほぼ植物状態に近い状態になる。
”最小意識状態”の彼女は臓器にさまざまな問題が発生し、なかなかリハビリ病院にうつることができないでいる。
出産直後5日目におきたクモ膜下出血発症から64日目、多臓器不全で彼女は天に召された。(中略)
2ヶ月強にわたる激烈な闘病だった。死に際し彼女はウクレレを聴き、友人の励ましとおしゃべりに囲まれ、安らかなその死顔には微笑さえ浮かんでいた。
心からのご冥福と、残されたお子さんの健やかな成長を、遠い日本から深く深くお祈りします。。。