本読んだ。ウェブ人間論。

ネット界でなかなか話題になっている(なっていた?)ウェブ人間論を読みました。梅田望夫氏と平野啓一郎氏との対談本。

 

ウェブ人間論 (新潮新書)

ウェブ人間論 (新潮新書)

 

今の僕は、朝4時に起きてトータルで1日8〜10時間位ネットにつながっていて、「ネットの世界に住んでいる」という感覚なんです。

僕の場合、時間の制約ということを痛烈に意識しはじめた4,5年前から、付き合いたくない人とは付き合わないということを最優先事項にして生きていこうと明示的に決めました。(中略) そういう人たちの選択を、自分でなるべく心地よいものに組みかえていこうと努力しています。そうでない他者との軋轢ある関わりって、確かに自分を成長させる部分があるけど、でも嫌なことでストレスをためてしまうよりは、避けていきたいと思うようになりました。

といったようなこの本の中での梅田氏の主張の数々や、こんなコラムなんかを見ていると、梅田氏自身が急激にニートになろうとしているのかと思えたりしてしまいますが。でもたぶんそう思うのは、梅田氏の手のひらの中で遊ばされているだけのような気がしなくはない。

 

さておき。
読みながらの感想としては、「表現すること」について、より深く考え直す機会になりました。

ただ、自分の好きなことはこれとこれなんだってことがある時わかって、そう決めてしまうと、それ以外のことを遮断する方向に働いてしまうのも事実なんですね。(中略) それで好きなことを一生懸命やって、専門とか自分の好きなことの中に閉じこもっていると、オタク化していく。

ただ、言葉というのは、梅田さんも今言われたように、僕もいつも感じるのですが、それを使ってしか自分を表現できないわけですけど、そのせいで自分が規定されてしまうというジレンマが必ずあるように思います。俺は肉が好きだ、と宣言すると、本当は魚もちょっと好きで、野菜ばっかり食べたいときもあるというような微妙な揺らぎがみんな押しつぶされてしまう。

本の中で言われていることって、それほど自分にとってnewなことではなくて、これまで生きてきた中でもやもやと感じていたようなことばかり。でも、それを言葉として表現してくれているのがこの本。いくら自分がその前から感じていたこととはいえ、自分は言葉として表現することができなかったようなあいまいな概念のものだったし、だからこそそれをコトバとして表現していることって、とても偉大なことなんだなー、と思いました。

やはり、考えているだけで外に主張しないことには何もやっていないことと見かけはおんなじ。そのために、思っていること考えていることを、なんらかの手段で表現して外へ発していくことが、大きな差になるのだろうと思う。

表現する手段は、なにも言葉だけではないと思っていて。文章に書くこと、絵に描くこと、歌うこと、踊ること、企画書にすること、プログラムコードにすること、どんなことでも「自分のアタマに中にあるイメージを、他者にも伝わるようにすること」はすべて、どれもとても大事な表現手段なんだと考える。

きちんと表現することは難しいことだけれど。でも、表現しないことには、何も伝わらない。